「1972年生まれくん」です。
社会人生活を送っていると、自分でも驚く「大失敗」をしてしまうことがあると思います。
とくに20代の頃は、うそみたいな大失敗をしてしまいがち。。
そんな時、「謝る?」それとも「ごまかす?」、どちらを選択したらよいのでしょうか?
私が20代のときに犯した大失敗。しかも謝る上司が、元暴走族総長&超武闘派上司。
絶体絶命の危機をどのように切り抜けたのか、お話ししたいとおもいます。
元暴走族総長上司の愛車のドアミラーをへし折った。。
時はさかのぼること約30年前。
「パワハラ」や「セクハラ」、「ワーク・ライフ・バランス」などという恵まれた言葉がまだ生まれていなかった時代。
仕事の失敗をしたら、上司の鉄拳が飛んでくるのは当たり前の時代でした。。
私の上司は個性豊かな方がたくさんいたのですが、その中でも群を抜いていたのが、元暴走族総長だったという、ゴリラそっくりの上司です。(以下、ゴリ上司とします。)
数多くの武勇伝をお持ちの方で、出来ればお近づきになりたくないタイプの方でした( ;∀;)
しかしある日、外出先で行うゴリ上司の打ち合わせに私も同席することになってしまったのです。
打ち合わせ場所にゴリ上司は自家用車でやっていきました。期待を裏切らない、ピカピカの年代物のアメ車で登場。車への「愛」にあふれたカスタマイズぶりで、ハンドル中央にはドクロがついていました。
颯爽と車から降りたゴリ上司は私のカギを投げ、「駐車場に入れといてくれ」と言い放ち建物内へ消えていきました。
「!!!!!!!」いやな予感しかしません。。。。
しかも駐車場は狭い建物の半地下。幅もせまい。しかもマニュアル車。。。
慣れないアメ車をゆっくりバックさせながら、狭い半地下の駐車場へ。。がいつの間にか運転席側ドアミラーのすぐそばに鉄柱が!
危ない!思った瞬間、体が反射的に動きました。
そして……なぜか私の手は、もげたアメ車のドアミラーをしっかり握りしめていました。
当時、日本車のドアミラーは電動でないものも多く、手動でドアミラーを閉じたり開いたりしていたのです。私は閉じるはずもない、年代物のアメ車のドアミラーを閉じようとしてしまい、もいでしまったのです。
謝るのか?ごまかすのか?
ピカピカの年代物のアメ車のもげたドアミラーを見つめながら、私は決断を迫られていました。
- このまま逃げる。
- 接着剤でくっつけてごまかす。
- 最初から壊れていたことにする。
- 車の下の置いておき、誰かがいたずらしたことにする。
- 謝る。(怖すぎて無理。。。。。。)
私が選んだのは、「2番!」接着材でくっつけてごまかす!でした。
急いで事務所の中へ入り、接着剤を探します。がそんな都合よくあるわけありません。更に、手に持った「もげたドアミラー」を会社の同僚たちに見られてしまったです。。
事態を把握した同僚たちの顔が青ざめていきます。。
もう「逃げる」か「謝る」しか選択肢が残されていません。
どうする??どうしよう??…その時、その場にいた他の会社の40代くらいの方が落ち着いた優しい口調でこう言ったのです。
「謝ることは怖いことかもしれない。だけど、失敗したことを認めないことこそ本当の失敗だよ。失敗したことをきちんと認めて謝る。そして同じ失敗を今後しないことだよ」
まとめ
私は、ゴリ上司に謝りました。涙目で鼻水ダラダラ流しながら必死に謝りました。
ゴリ上司は、拍子抜けするほどあっさり許してくれました。しかも少し笑いながら。
私はこの時、心の底から本当に理解しました。「心から謝罪すれば、こんな怖い人でも許してくれる。」っと。逃げないでよかった。ごまかさないでよかった。
私に謝るよう諭してくれた方の言葉は
「過(あやま)ちを改(あらた)めざる、これを過(あやま)ちという」
孔子様のお言葉だったようです。
逃げたり、ごまかしたり、失敗をなかったことにする行為は、自分の過ちを認めないことと一緒でなのではないか。過ちをおかしてそのままにしておくことこそが本当の過ちだ。と孔子様はおっしゃっているのです。
まさにそのとおり。。接着剤でくっつけようとした過去の自分が恥ずかしい。。。
20代の時は、心から謝罪すればたいがいのことは許してもらえます。(※社会通念上の不適切な行為は許されません)なので、失敗してしまったときは謝ってしまいましょう。
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